松永幹師再び紡ぐ“ロマンス劇場”

2020年8月21日 05:30

05年の札幌記念を制した松永幹夫騎手(右)とヘヴンリーロマンス

 【競馬人生劇場・平松さとし】2005年10月30日、東京競馬場に時の天皇、皇后両陛下が行幸啓し、天皇賞(秋)を観戦された。

 直線、先頭に立とうかと伸びて来たのは前年の覇者で1番人気に推されていたゼンノロブロイ。しかし、ゴール直前、物凄く切れる脚で同馬の連覇を阻んだ牝馬がいた。

 ヘヴンリーロマンス。18頭立ての14番人気という低評価を覆す優勝劇だった。

 手綱を取ったのは松永幹夫騎手(当時)。レース後、天皇、皇后両陛下に最敬礼をした彼に話を伺うと「そもそも夏までは天皇賞に使う予定すらなかったんです」と語った。

 前年に準オープン、阪神牝馬S(G2)と連勝したヘヴンリーロマンスは、その後、牝馬の重賞路線を中心に走った。中山牝馬S(G3)、福島牝馬S(G3)はいずれも10着に惨敗したが、調子を上げて来たことで、秋の目標を牝馬のG1レースであるエリザベス女王杯とした。

 そこでまずはクイーンS(G3)に出走した。当時、同馬を管理していた山本正司調教師は次のように言った。

 「獲得賞金的にここをしっかり勝たないとエリザベス女王杯の出走は難しいと思われました。ところが2着に敗れてしまい、仕方なく札幌記念にも使うことにしました」

 当時、札幌記念はクイーンSの翌週。つまり連闘になったのだが、半ば「仕方なく」ここを使うと、何と見事に快勝した。後に山本調教師は次のように語っている。

 「クイーンSを勝てなかったことで札幌記念へ行ったら勝ちました。そして札幌記念を勝ったことで天皇賞へ行くことになり、そこも勝てました。クイーンSで1着になっていればすんなりとエリザベス女王杯へ挑戦したはず。不思議な運を感じたものです」

 それから11年後の16年、山本調教師は鬼籍に入ったが、弟子の松永幹夫騎手は調教師となって今年の札幌記念にラッキーライラックを送り込む。ヘヴンリーロマンスと同じ牝馬で、新たなドラマが紡がれることを期待したい。 (フリーライター)

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