【根本康広 我が道14】中山大障害で制覇で確かな自信 「根本は乗れる」 名馬たちへの出合いへ

2026年10月15日 07:00

79年の第82回中山大障害で1着のバローネターフと根本騎手 (1979年4月8日 @中山競馬場)

 バローネターフが見事な飛越で大障害をクリアした後は、事前に教えてもらっていたことを守るだけでした。1、2コーナーの障害を跳んだ後はバンケット(障害レースで使われるアップダウンの激しい区間)を下っていく。そこで馬が行きたがることのないように気を付けて、その後に上った後はフッと息を入れさせてあげる。そこでの息継ぎが最後の直線でのもうひと伸びにつながります。終わって見ればレコード(やや重で4分38秒5)での大差勝ち。危ないシーンもなく、バローネターフは中山大障害4勝目を決めました。

 大きなタイトルを手にするのは初めてでした。ただ、これだけの馬での勝利なので周りは「当然でしょ」という感じです。「うれしい!」というよりはホッと安心する気持ちだけでした。師匠からは「まだまだだからな。(賞金は)引退する時のために、ためとけよ」とだけ言われました。

 秋は天皇賞・秋(11着)を脚慣らしで使って、中山大障害(秋)が大目標でした。春に圧倒的な勝ち方をしたけど、テキサスワイポンなどのライバルもいて油断はできませんでした。そして私の元には自厩舎のフジノショウグン、私とのコンビで東京障害特別(秋)を勝ったオキノサコンの騎乗依頼も来るような状況でした。馬主さん、他厩舎の調教師からの依頼で自分では何も決断できなくなっていたら、師匠が「お前はバローネターフに乗りなさい」と決めてくれました。勝つのはバローネターフだと分かっていたんですかね。見事に中山大障害5勝目を挙げ、そのまま余力を残したまま引退となりました。

 これほどの馬だから引退式が行われ、私も呼ばれました。障害馬が故障もなく無事に引退できたことが何よりうれしかった。ひと握りの名馬だけに許される引退式。携われないまま引退する騎手が大半の中、幸せものだなと思いました。私が出席した引退式は生涯で2回だけ。これが1回目となりました。

 バローネターフと初コンビを組んだ中山大障害(春)を勝っていなかったら、今の私はないと確信できます。騎手として、ホースマンとして大きなターニングポイントになりました。あのレースを勝ったことでグッと自信ができて、普段の騎乗にも表れるようになります。

 2年後の81年にもナカミショウグンで中山大障害(春)を勝利。このまま障害専門騎手になるのかなと思う時もありましたが、周りの見る目が「根本は乗れる」という方向に少しずつ変わっていったのでしょう。デビュー3年目に思わぬ形で舞い込んだ障害の名馬との出合いが、この先のギャロップダイナ、メリーナイスという平地の名馬たちとの出合いにつながっていきます。

 ◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

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