【追憶の宝塚記念】97年マーベラスサンデー悲願のG1制覇 「2回してましたね」武豊が明かした秘密

2023年6月21日 07:00

「第38回宝塚記念」を制したマーベラスサンデーと、ガッツポーズの武豊 

 宝塚記念にはG1未勝利の馬が「悲願のG1初制覇」を成し遂げるイメージが、競馬ファンに広く流布していると思う。イメージの源泉は世代によって違い、最近ならミッキーロケット(18年)やラブリーデイ(15年)であり、もう少し前ならダンツフレーム(02年)やメイショウドトウ(01年)であり、さらにさかのぼるとマーベラスサンデー(97年)だろう。

 96年から99年まで、宝塚記念は7月に行われた。97年7月6日の宝塚記念は12頭立て。武豊マーベラスサンデーVS藤沢和雄厩舎のG1馬コンビ、タイキブリザード&バブルガムフェローという構図だった。1番人気はマーベラスサンデーで単勝2・3倍。タイキブリザードが3・1倍、バブルガムフェローが3・5倍で続く。

 マーベラスサンデーはデビュー前、3歳時に2度の骨折で出世が遅れたが、4歳5月から重賞4つを含む6連勝で一気に最前線へ。G1初挑戦の天皇賞・秋が4着(勝ち馬バブルガムフェロー)、続く有馬記念が2着(勝ち馬サクラローレル)。3強決戦がうたわれた翌97年の天皇賞・春はサクラローレルと激しく競り合っていたところ、マヤノトップガンが捲り追い込みを決めて優勝。マーベラスサンデーはサクラローレルに競り負け3着だった。

 この宝塚記念は、マヤノトップガンが秋に備えて休養に入り、サクラローレルはフランス遠征を表明。マーベラスサンデーにとって、何としても勝ちたいG1となった。

 鞍上の武豊は、マーベラスサンデーのキャリアを通じて全レースで手綱を取った、まさしく主戦。同馬はディープインパクト以前の「豊の恋人」として屈指の存在。強さだけでなく全てを熟知していた。

 「G1は4回目。同じ負け方をしたくなかったんです。冒険と言えば冒険ですが、我慢して内を回ればと思っていました」

 マーベラスサンデーは早めに先頭に立つと気を抜いてしまう、いわゆるソラを使う癖があった。馬群の中で運んで、ぎりぎりに抜け出すのが武豊の選んだ作戦。当時はこの週に仮柵が外され、内から5メートルほど馬場コンディションが良かったことも作戦の背景。

 マーベラスサンデーは序盤、後ろから3番目。1、2コーナーでは手綱が動くシーンも。武豊はレース後「泥をかぶって嫌気がさしたみたいで…」と説明したうえで「もともと覚悟していましたよ」と、手応えの悪さすら作戦の内だったという。

 安田記念からのG1連勝を狙ったタイキブリザードが早めに先頭へ。バブルガムフェローも早めに位置を押し上げていく。

 武豊マーベラスサンデーは「残り800メートルでハミを取ってやる気を出してくれた」と、徐々に番手を上げつつ仕掛けのタイミングを測る。直線に入って、馬群を割る余地がないと見るやスッと外に持ち出して追い出す。追う者の強みで、バブルガムフェローを首差捉えてG1初制覇を飾った。まさにレースプラン通りの内容だった。

 大沢真調教師は「やっと勝てた。うれしいよ。これだよ、このレースをやってほしかったんだよ」と武豊の騎乗を絶賛した。

 番外のエピソードとして、マーベラスサンデーにはレース前の大事なルーティンがあった。ゲート入り前の輪乗りの時、必ずお花摘みをする。レース後、武豊はいたずらっぽく笑いながら「きょうは2回してましたね」と相棒の秘密を明かした。いつもより多くルーティンをこなしたマーベラスサンデーは、ついにG1を勝った。

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