【根本康広 我が道8】朝は厩舎仕事、夜は定時制通学 そこで妻と…
2026年10月8日 07:00 当時の卒業試験は京都、阪神、東京、中山の競馬場と白井(千葉県)で1次試験が行われました。普段は厩舎で下乗りをしているような短期講習の人たちもいるので、競馬学校卒業生がメインの今よりも人数が多かった。内容は毎年微妙に変わりますけど、1次試験は筆記と走路試験(追い切りのタイムと騎乗フォームを確認)。そこでの点数上位者が馬事公苑での2次試験(最終)へ行きました。
自分は結構、馬も動かせたし自信があったけど、不合格となりました。師匠からは「今のお前では体力も精神力も騎手としてはやっていけない」と言われました。おそらく師匠が教官に口利きをして「今年は落としてくれ」と言ったのだと思います。結果的に卒業試験は3度も落ちることになります。
次の試験は1年後なので、また厩舎での下乗り生活が始まりました。このタイミングで夜は府中農業高校の定時制に通うことになります。同じように弟子を通わせていた八木沢勝美調教師に「根本くんも行った方がいい」と言われ、うちの師匠も賛成しました。早朝から馬の稽古を付け、夜は4時間くらい机に座って勉強するわけですから、いつだって眠いんですよ…。でも、クラスは和気あいあいとして楽しかったです。そこで後に妻となる女性と付き合うことになりました。
妻は転入生で、後からクラスに来たんです。「朝の早い仕事をしているの?新聞配達のお仕事?」と聞かれ、説明するのも面倒くさいから「そうだよ」と答えたのを覚えています(笑い)。別に「騎手の卵だ」と言うつもりはなかったです。今の若い子たちみたいにベタベタと付き合う関係でもなかった。何せ自分は下乗りですからお金がなければ車もないし、時間もない。本当に何もなかった。学校の帰りに喫茶店でお茶をするとか、そういう付き合いでした。
今と違って新潟や福島は滞在競馬になるので、泊まりでの仕事。そうなると学校には行けません。次第に単位を取るのが難しくなっていきました。そして、一緒に頑張ってきた同期たちは騎手としてデビューしている。悔しいというか果たして騎手になれるんだろうか、という不安がありました。
そして1度目の試験に落ちた事実が私の中で大きな重圧となります。2度目以降の試験は筆記などの1次は問題なく突破できるのですが、どうしても2次試験の実技で体がこわばってしまう。「もう落ちられない」という思いに縛られ、いつもの力を発揮できません。2度目、3度目の試験も不合格となります。「4度目の試験で落ちたら、もう騎手の道は諦めよう」と心に誓いました。
同期だけではなく、後輩たちも騎手として活躍しています。心の支えは付き合っていた妻でした。妻は競馬のことはほとんど何も分からなかったけど「こいつのために騎手にならなければ」と思って踏ん張っていました。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

