【追憶の有馬記念】シンボリクリスエス独壇場の03年 ペリエ絶賛「ベストでスペシャルだ」
2022年12月21日 07:00 03年の有馬記念は12頭立て。前走でジャパンCを制したタップダンスシチーがいた。3歳は藤沢和雄厩舎の次世代エース・ゼンノロブロイと、菊花賞1、2着のザッツザプレンティとリンカーンが出走。ツルマルボーイもアグネスデジタルもいた。それでも、このレースはシンボリクリスエスの独り舞台だった。
パドックから、もう最高の雰囲気だった。藤沢和雄調教師も「とてもたくましく見えましたよ」と絶賛した。
それほどの仕上がりに、鞍上は仕事人オリビエ・ペリエ。シンボリクリスエスは大外枠。中山芝2500メートルの大外は不利だが、12頭立てなら気にほどではない。シンボリクリスエスほど操縦性のいい馬なら、どこの位置を取るか自分で決められるぶん、むしろ良かった。実際、ペリエは武豊リンカーンをマークする位置を選んだ。「ずっとユタカを見ていたから、イージートラベルだったね」とレース後、ペリエは武豊マーク策を明かした。「ユタカとは親友だからね。お互いに考えていることが分かるんだ」と付け加えた。
3コーナーでリンカーンが一気に進出するのに合わせて、ひと呼吸おいてシンボリクリスエスも仕掛ける。一番強い馬に、一番いいタイミングで仕掛けられては、他馬にはなすすべがない。武豊リンカーンとしては早めにスパートをかけることで出し抜いてリードを取りたかっただろうが、そうした作戦も読まれてねじ伏せられた。それほどにこの日のシンボリクリスエスは完璧に仕上がり、完璧に指示に従った。レース後、武豊は「力は出し切れた。相手が強すぎたよ」と笑顔で勝者を称えたほどだった。
ペリエは「凄いパフォーマンスだった。シンボリクリスエスはベストでスペシャルだ。担当者(浴中厩務員)と素晴らしい信頼関係を結んでいるし、レースで何をすればいいか分かっている。競馬も、そして人間も知っている馬なんだ」と語った。
シンボリクリスエスはまるで自らに課せられた責任の重さを知っていたかのようだった。強烈な道悪だったとはいえ、1秒6も離されたジャパンC3着の屈辱。それでも有馬記念ファン投票は圧倒的1位。レース後には引退式も控えて勝たねばならない有馬記念を、2着に9馬身差で1秒5ぶっちぎる意趣返し。レコードのおまけ付き。グランプリ連覇で現役最終戦を飾った。
社台ファームの吉田照哉代表も「あの強さには驚いた。2000メートル(03年天皇賞・秋)でも2500メートルでもレコード勝ち。距離の幅もあるし、530キロ以上あるのに均整が取れていて故障知らず。凄いよ」と絶賛。種牡馬としての期待を寄せた。引退式では3万人のファンがシンボリクリスエスを見送った。
シンボリクリスエスは種牡馬として、JRA・G1馬を5頭送り出した。リーディングサイヤーの最高成績は3位。成功と言っていい。それでも、あの有馬記念を知る者には、少々物足りなく感じるからぜいたくなものだ。
その血が、18年たって再び暮れの中山で輝いた。21年有馬記念でシンボリクリスエスの父系直系の孫となるエフフォーリアが完勝。そして22年の有馬記念。エフフォーリアは達成すれば祖父以来となる有馬記念連覇に挑む。